丸佳浩愛を語る私と愛をなくした私。

こんにちは。授業中なのにブログ書いてるオタクです。

 

これはいちカープファンのボヤキなので頭を空っぽにして読んでください。

 

自己紹介で、2次元オタク、アイドルオタクであると話しましたが、私野球も好きなんですね。野球オタクか、と言われればまだまだ勉強不足な面しかないんですけれども……。私は中国地方出身ですので、広島東洋カープを応援しています。広島東洋カープといえば、FA宣言して、読売巨人軍に入団した丸佳浩選手が今、有名ですね。

 

丸佳浩選手のことについてちょろっと語りたいと思います。20数年間生きてきましたが、ここまで悔しいFAは初めてです。丸佳浩選手は私が幼い頃にカープに入団し、野村謙二郎元監督のもと、大切に育てられてきました。まあ、彼が入団した当時は、真っ黒な暗黒時代。横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)と最下位争いをしている現状。Bクラス常連。Aクラスなんて夢のまた夢。そんな状況だったんですね。阪神の二軍って言われてたんですよね。嫌な肩書きだなぁ。まぁこれでわかってくれると思いますが、本当にやばい状況、今とは真逆な状況だったと思っていただけたら幸いです。

 

その暗黒の中、「丸佳浩といういい若い選手がいるぞ!」と噂になりました。その頃私は幼かったので、丸佳浩という名前は知っていましたが、どこまで凄いのかまではさっぱり分からなかったんです。けれども、父が「丸は大切に育てんといけん!」って叫んでいたのを覚えています。

そして、丸佳浩が少しずつ少しずつ活躍しだして、初めてのヒーローインタビューで、「顔のでかい丸です。よろしくお願いします。」と言ったことだけは覚えています。(だって本当に顔がでかかったんだもん。今もでかいぞ。)

そして2012年、菊池涼介選手が入団してキクマルコンビ(時々マルキクコンビもあったなぁ。)と言われるくらいカープの救世主になってくれる活躍をしてくれました。そして、2013年、2014年やっとAクラスに入ることができました。あの時の喜びは今でも覚えています。

そして、2013年田中広輔選手が入団し、今話題のタナキクマルと呼ばれるようになりました。キクマルコンビが定着してた私は「タナキクマルってなんやねん(笑)」って思ってましたが……

 

ここまで語ると分かると思いますが、私はカープ丸佳浩が好きでした。過去形なので分かると思いますが、巨人の丸佳浩は無関心です。

FA宣言をした瞬間、「丸は出ていくだろうな」と思いつつも、残留してくれと願い続けていました。(西川龍馬選手が外野の練習をしだして、これはもう出ていくと確信に変わったが)そして、運命の11月30日。読売巨人軍にお世話になると宣言しました。あの時の私は絶望の淵に立たされた思いで、お昼ご飯を食べていたんですけれど、泣きながら食べました。塩っぱいうどんだったなぁ。友達に慰められながら家に帰り、泣きながら1人でキレてました。やっぱり悔しいんですよね。特に読売巨人軍だから(笑)

 

と、前置きが長すぎましたね。すいません。ちょろっと書くとか言いつつ、全然ちょろっとじゃねぇな……。

 

田中広輔選手がとあるトークショーで「丸佳浩にはブーイングしないでほしい。拍手で迎えてほしい。」と語ったそうですね。正直ね、これを見て、「はぁ?」って思いました。いや、拍手は無理だろ(笑)私は心の狭いカープファンなので、出ていった選手に対して拍手は絶っっっっ対に無理。敵ですよ?敵。敵に拍手とか頭お花畑な人間しか無理だって!私はお花畑な頭してないので、無理ですね。皆さんは出来ますか?私は残留宣言してくれた松山竜平選手に拍手したいわ!田中広輔……それは違うぞ。これが書きたかった。序論が長すぎて、本論が一瞬で過ぎ去ってしまった困った。

 

とりあえず言いたいのは、

丸佳浩カープの顔で、私にとって大切な選手だったこと。

FAで敵になったので、これからは敵として見ること。

拍手で迎えるのは無理であること。

松山竜平選手を拍手で迎えたいと思うこと。

 

以上です。

 

沢山語ってしまい、申し訳ないです。長文を読んでいただきありがとうございます。

またいい事でカープのことを書きたいな。

 

それでは🙋🏻‍♀️